フュージョン(融合)のパイオニアHelene Anがベトナム料理をコース料理の最高峰に

ベトナム料理のシェフを代表する有名なHelene An氏は、新しい吹き抜けのレストランDa Lat Roseで自分の難民時代の話をしました。

11月6日にビバリーヒルズで一般公開されるベトナムの高級レストランDa Lat Roseでは、フュージョンのパイオニアであるHelene An氏の有名なガーリックヌードルが、新しくさらに美味しく生まれ変わって登場します。そのレストランの一般公開で出されたガーリックヌードルには、麺にサンタバーバラ特産のウニをほんの少しと、わずかな24カラットの金がトッピングされています。 その後、総料理長のNguyen Nguyen氏自ら、客のテーブルで黒トリュフを削り、ふんだんに麺の上に振りかけてくれます。

Da Lat RoseはAn氏の今までの経験と技術を盛り込んだ彼女の集大成となる素晴らしいレストランです。メニューには、それぞれの料理に説明書きがあります。 ガーリックヌードルの1つについているタイトルは、「アメリカンドリーム」です。 この金色に輝く料理は、アメリカとそのレストラン業界が、アメリカに体一つでやって来た人々の涙ぐましい努力によって築かれたことを象徴しているのです。

現在75歳のAn氏は、難民としてアメリカにやって来て以来、40年以上もレストラン業に携わっているため、そろそろ引退を考えています。An氏は、そのバトンを32歳のNguyen氏に引き渡すそうとしています。Nguyen氏は25歳からAn氏と働いてます。An氏は自分の娘が事業を引き継いでくれることも分かっています。 彼女はベトナム料理が多くの世代の人々に受け継がれていったことを嬉しく思っています。25歳の孫娘Bosilikaも、Da Lat Roseのオープンに尽力を尽くしました。

Nguyen氏はこれがAn氏の人生最後のレストランにはならないと言っていますが、An氏本人はやはりDa Lat Roseが最後のレストランになると考えているようです。

「自分の人生と私の物語をみんなと共有したいのです。私の家族はいつでもどこかに隠れて逃げて暮らしていなければなりませんでした。」とAn氏は言います。

Da Lat Roseの12のコースの料理は、美味しい生ビールとスナックが出されるベトナムの小さな通り角のバーを想定したラウンジエリアで始まります。 竹ご飯とライムの葉で調理されたチキンオイスター(鶏の股関節あたりの部位)は本当に美味しい料理です。貴族の家系に生まれたAn氏が第二次世界大戦のさなか、家族と一緒に農園に隠れて生活していたあの辛い日々の象徴となる料理です。 この料理を注文したお客さんはDa Lat Roseのウェイターから、戦時中にAn氏が敵と戦うためにナイフのように尖らせた竹の棒を振り回していた当時の話を聞けるかもしれません。

戦争が終わり、数年が経ち、状況はとてもよくなりました。

「私たちは1948年から1954年の間はとても幸せに暮らしていました。その後、共産党はハノイを支配するようになりました」とAn氏は話してくれました。

その当時An氏は11歳でしたがまた再び逃げ回る日々が始まりました。 彼女の家族はサイゴンに逃げ、そこで父親は病に倒れてしまいます。しかし、その後、一家は気候がよく、果物や野菜が一年中栽培できる緑豊かな湖の近くにある街、Da Latに移住することになりました。 彼女の父親の病気もすっかり治りました。彼女は「貴族だけが行くことができる」立派な私立学校に行き、その後修道院で勉強しました。

その後、彼女はサイゴンの裕福な実業家と結婚しました。家に3人のシェフがいるくらい裕福な家庭でした。1人はベトナム料理、もう1人はフランス料理、もう1人は中華料理のシェフでした。 An氏と夫のダニーは二人で3人の娘を育てました。 しかし、サイゴンが崩壊した1975年に、彼女は再び困難に直面します。

グアムとキャンプペンドルトンに寄った後、An氏は最終的にサンフランシスコに辿り着きました。サンフランシスコには義母のダイアナが住んでいて、総菜屋を経営していたのです。 An氏はメニューを変えることを思いつきました。アメリカ人の友人がパスタを食べるのがとても好きだったのを思い出し、ニンニクヌードルというメニューを発案しました。クリームとトマトソースを使わない、より軽い感じの料理を作りたかったので、Da Latで東洋医学を勉強し、ニンニクの効能などを調べ、それをメニューに生かしました。

「当時、自分がフュージョンということをしているという自覚は全くありませんでした。お客様にとってメリットがあり、かつ誰もが食べられる料理を提供したかった一心でした。本場のベトナム料理は、アメリカ人の口には合わないでしょう。 私がフランス料理を作っても、美味しいフランス料理では勝てません。それはイタリア料理でも同じです。だから私は人と違うことをしなければなりませんでした。 つまり、自分で料理を発案しなければならなかったのです」

きちんとした料理の知識がない彼女でしたが、子供の頃に台所で母親と姉が作っていた麺の作り方をよく観察していたので、作り方もよく分かっていました。彼女は、その麺をベトナム風味にしたのです。 しかし、彼女はアメリカ人のお客様ために魚醤油の味を少し調整する必要があると考えました。そこで彼女は、フランス人シェフがソースを作るのを見て覚えたフランス料理で使うテクニックを用いました。

「私はとても幸運だったんです。アメリカに来て、私はすべてを失いました。料理には何の興味もなかった私でした。両親が私を学校に行かせたので、私は料理をする必要もありませんでしたし。しかし、アメリカでは義母と一緒に働かなければいけませんでした」と彼女は話してくれました。

そしてそれから40年が経ち、An氏はビバリーヒルズのDa Lat Roseをオープンすることになります。人気のカニやエビのレストランよりも値段が高い、1人あたり225ドルのコース料理が振る舞われる高級レストランです。 この場所は、彼女が愛情を込めて「ママ」と慕われている場所です。「ママ」は、彼女の物語を存分に語れる存在であり、猛烈で愛すべきリーダーです。

「Da Lat Roseは私たちにとって初の最高級レストランです。本当にプレミアムな食材を使った伝統的なベトナムのレシピで作った料理をご堪能いただける場所です。」とNguyen氏は言います。

An氏とNguyen氏は、おいしいパンケーキにエスカルゴとA5ランクの牛の油を加えることにより、bánh xèoをさらに美味しい料理に仕上げました。このレストランでは、バターで作ったろうそくに付けて食べるというエビのサテというメニューもあります。Da Lat Roseでは仰天の演出や、テーブルサイドでのプレゼンテーションがたくさんありました。タラバガニとキャビアを使用した料理や、Snake River Farmsの和牛でビーフシチューがさらにグレードアップされています。

「Bò khoは農民が食べるようなシンプルなシチューです」とNguyen氏は、Da Lat Roseの希少な和牛コースである「Legacy Lives On」をインスパイアした料理について語っています。 自宅にあるお手頃な価格の肉を使い、何時間も火を通せば作れます。ただこれにはシナモン、八角、トマトペーストなどが入っているとのことです。

An氏は、自分は決して有名人のシェフになりたくなかったし、これまでにしたことはすべて家族の世話をしてきただけだと言います。 彼女は娘を学校に通わせ、自分でお金を稼ぎ、自分で色々な決断を下せるようにさせたかったのです。 An氏は、Nguyen氏とキッチンでキャリアを築いた他の若い料理人も自分の家族だと思っています。 彼女は彼らを指導し続けたいという希望もあり、将来彼らがオープンするであろうレストランにも資金提供をしたいと思っています。 彼女はただの総菜屋さんの調理人からスタートし、今では経営者、指導者として後輩たちのために尽くし、自分が培ってきたものを誇りに思っています。

「今は本当に疲労困憊という感じです。 しかし、これからも娘とシェフのNguyenをサポートしようとしていきたいと思っています。 私たちは皆で心を一つにして働き、シェフのNguyenをサポートし、より多くのレストランをオープンできるようにしたいと思っています。 しかし、引退できるのであれば、その方がいいですね。」

話している様子を見ているとまだまだ元気で力強いように見えるAn氏ですが、実は最近癌治療を受けました。そのことは一部の関係者以外知りません。現在は治療を完了し、順調に回復しているとのことですが、定期的な検査のために通院する必要があるそうです。 彼女が人生で学んだことは、「人生は困難の連続だ」ということです。

An氏は、Da Lat Roseのダイニングルームが、誰かの贅沢な家で食事をしているように感じになるように空間を演出しています。その空間での過ごしやすさとその豪華さで、お客様が毎日のストレスから解き放たれることを願っています。An氏はDa Lat Roseを自分の物語を語る場所とするだけではなく、Nguyen氏がその物語を引き継いでさらなる物語が生まれる場所になってほしいと願っています。

「彼は非常に優秀で、非常に才能があり、ものすごく創造的なシェフです。Nguyenなら私の意志を引き継いでくれると信じています。私の仕事は彼に自分の思いを伝えることです。人生から学んだことや、自分の技術は全て彼に伝えたいと思っています。 シェフのNguyenにはずっと一緒にここで働いてほしいと思っています。彼が自分のレストランをオープンするのであれば、私がまず最初に投資したいですね。」

「Anはいつも私を泣かせようとします。ママは控えめな人です。みんないつもママが必要だと思っています。」とNguyen氏は話してくれました。

Nguyen氏はにこやかに微笑みながら、An氏に愛情のこもった笑顔を向けながら話してくれました。 彼はベトナムと米国を旅したことについて話しをし、どこにもちゃんとしたベトナムの高級レストランがないことに気が付いたというのです。

An氏は今、新しい料理を発案するためにここにいます。

「このような高級なベトナム料理はどこを探してもありません。私たちは自分たちが正しいことをしているということを確認したいのです。」An氏は力強く述べました。