ベトナムに進出する日系飲食店へ就職するには

ここ最近のベトナムには、日系飲食店が多く進出しています。中でも、ここ数年は日本全国でチェーン展開をするようなグループの進出が目立っています。 ベトナムに進出する代表的なお店 すき家(SUKIYA) ゼンショーホールディングス傘下のすき家本部が運営する牛丼チェーン店で日本全国に2000店鋪近くを展開しています。 ベトナムには、2014年に吉野家が進出してきましたが、あまりパッとせず、牛丼がベトナム人には受け入れられないのかというような印象を受けていましたが、遅れること2年、2016年に進出してきました。 吉野家と比べて、しっかりとベトナム人ローカル向けにマーケティングを展開されており、牛丼だけでなくラーメンや日本食など幅広く揃えており、日本食のファーストフード店として、多くのベトナム人に受け入れられています。 ベトナム1号店 ベトナム1号店はホーチミン中心部から少し離れたイオンモールに出店しました。 丸亀製麺(Marukame Udon) 丸亀製麺は、株式会社トリドールが運営するうどん専門の飲食店で、 釜揚げうどん等を低価格にて販売しており、うどんは店内で製造されています。 日本語での読み方は、Marugame Seimenなのですが、ベトナム人に配慮して、ベトナムではMarukame Udonとして展開しています。(看板は丸亀製麺) 日本同様に低価格なのと、1号店が軌道に乗る前から中心部へ2号店を出店させ、イメージ戦略が功を奏しすき家同様に多店舗展開をしております。 ベトナム1号店 イオンモールがベトナムへ進出するのと同時に丸亀製麺も進出してきました。もちろん丸亀製麺1号店は、イオンモール1号店へ入居しました。 一風堂(IPPUDO) 博多一風堂は、福岡発祥のラーメンのグローバルブランド。運営は、株式会社力の源カンパニーですが、ベトナムでは、ベトナム全国にチェーン展開する日系ピザレストランの4pcs(フォーピース)が運営しています。 ベトナム1号店 ホーチミン市7区の4pcs(フォーピース)に隣接する形でオープンしました。2号店は日本人街(レタントン)にあります。 日系飲食店へ就職する方法 ベトナムに進出している日系飲食店へ就職する方法は、日本で飲食店へ就職するような方法で就職出来るのは現地にいるベトナム人くらいです。日本人をはじめとした外国人は、お店に貼り出された張り紙や新聞などに掲載された求人情報から応募しても書類審査すら通らないことが普通です。 では、どうすれば良いのでしょうか。 それは、飲食店求人情報を取り扱う外国人向け求人情報サイトやベトナム現地にある人材紹介会社に登録して紹介を受けるというのが一般的です。前者の場合は英語かベトナム語が話せないと難しいので、多くの人は人材紹介会社に登録されて就職を決めているようです。 日本のように飲食店を専門とした人材紹介会社は存在していないので、飲食店求人を取り扱う有名な人材紹介会社を紹介します。 *ベトナムにおける飲食店の外国人向け求人情報は、ベトナム人スタッフへの教育・指導もしくは店舗の管理を行える人材を求めていることが多いため、飲食業もしくはサービス業(接客)未経験では書類選考が通らないことがあるので、未経験の場合は人材紹介会社の担当者へ相談して下さい。 キャリアリンクベトナム キャリアリンクベトナムとは、ベトナム国内に2拠点(ハノイとホーチミン)を構える人材紹介会社で求職者の就職や転職、キャリアアップの無料サポートをしています。 弊社のサービスは人材紹介サービスとウェブリクルーティングサービスを行っております。 ウェブリクルーティングサービスは、今ご覧頂いている求人情報サイト以外にベトナム人向け求人情報サイト「CareerLink」(外部リンク)があります。 ベトナム求人採用情報、就職・転職なら人材紹介会社 キャリアリンクベトナム フード・アミューズメントというカテゴリーでベトナムの飲食店求人情報を紹介されています。 Career Market Vietnam CareerMarketはKosaido HR Vietnamが運営する、日系企業で働きたい方に向けて、日系企業への就職・転職・求人情報をお届けする求人サイトです。 CareerMarketはハノイ、ホーチミン、ダナンでのお仕事など、働きたい地域からの検索、また営業、財務・会計・経理・人事・総務・秘書・翻訳・IT・エンジニア・Webなど職種からの検索、それに加えて、キーワードからも検索ができるとても便利な求人サイトです。日系企業で働きたい、日系企業に興味がある、日本に関わりを持ちたい、という皆さんに、有益な情報をお届けできると思います。 日系企業への就職・転職・求人情報、日本人のベトナム就職情報サイト、Career Market ホテル・レストランというカテゴリーにベトナムの飲食店求人情報が紹介されています。…

米の生産を削減し、商業作物に切り替えるベトナム

世界有数の米輸出国の1つであるベトナムは、米の生産量を削減し、他の作物をもっと生産していきたいと考えているようです。 「コメ生産はリスクが高い、経済効率はいいとは言えない」と農業・農村開発大臣のNguyen Xuan Cuong氏は述べた。 世界には70億人の人々がいるが、毎日米を食べるのはその約半数に過ぎず、こうした外的要因が米の輸出に圧力をかけていると、彼は水曜日に国会で発表した。 政府は、現在の4.1ヘクタールから水田面積を50万ヘクタール減らす計画を練っており、これにより米の生産量が年間300万〜400万トン減少するだろうと言うことだ。 その減反政策が、食料安全保障に影響を及ぼさないとCuong氏は主張しています。 「水田の代わりに、より経済的に効率的に利益を得られる他の作物を生産していくようにします。」とCuong氏は話しました。 全世界における米の需要は年間約3,600万トンです。 数年前からインドとタイに次ぐ世界第3位の輸出国であるベトナムは、昨年3億1500万ドル相当の600万トン以上を輸出し、2017年と比較すると輸出量が16%増加しました。 Cuong氏は、「最も需要のある品種を優先して生産し、米の生産を見直すべきだ」と話しています。 広大な稲作地帯が広がるMekong Deltaの多くの企業と農民は、米の油に注目しています。 Quang Tri中央部では、600ヘクタールの面積で有機米の商業モデルを作りました。 「こういった動きは正しい方向に向かっていると思います。こういった動向で、ベトナムの米の価値が高まっていくことを期待しています」とCuong氏は言いました。 議員は、米に代わる他の作物や、またココナッツの木を育てるための支援政策についてCuong氏に質問しました。 ココナッツの木は気候変動へ人役を担う植物だと実証されています。ココナッツの木は塩水に耐えることができるため、気候変動への対応に役立つ可能性があるのだそうです。 世界的に、ココナッツの栽培耕地面積は縮小しています。そのため、ベトナムがこの果物に注目し世界の流れに反しココナッツを栽培することで、ココナッツ製品がベトナムにとって大きな経済的重要性を持つかもしれないとCuong氏は言いました。 農業省は、ココナッツの木の無性生殖計画を策定し、それに関連する研究機関と地方の当局にすでに次への課題を題したということです。

多様なベトナム料理の世界へ

韓国ではベトナム料理は確固たる地位を築いているといっても過言ではありません。というのも、韓国のほぼすべての都市部にベトナム料理のレストランがあるためです。 ただベトナム料理のレストランはたくさんあるものの、選択肢はそうではなくほとんど店で同じような料理のラインナップを取り揃えていて、フォーを出さないお店はほぼないでしょう。ただ、実際ベトナム料理にはフォー意外にも様々な種類の料理があるのです。今回はフォー以外の絶品ベトナム料理をご紹介したいと思います。 Paradise VietnamとそのViet Deliグループのレストランからお声がかかり、Korea Heraldは絶品のベトナム料理を味わえることになったのです。 この料理の旅はハノイのHome Finest Teas Loungeから始まりました。このレストランでは韓国人が馴染みのある料理、bun chaという料理が手始めに出されました。これはハーブと豚肉のミートボールを添えた新鮮な生麺の料理です。 ソウルで入手できる典型的なbun chaとは違い、肉がスープに入っていいました。 とても濃厚でうま味の強い味でした。ベトナム料理の特徴は、ハーブを使って繊細でバランスのとれた香りで料理にアクセントを利かす調理法にあります。そのハーブの香りが実際に食べたときに口の中で肉といいハーモニーを醸し出し、今までにない初めての味でした。 ご想像のとおり、材料にはコリアンダーとミントを使いますが、他にもベトナムのバーム、シソ、タイのバジルなどを使って様々味わいを織りなしています。 その店は普通の冷たい飲み物ほども甘くない冷たい水出し茶「を専門に扱っています。さわやかでマイルドな味わいのお茶です。 旧市街をざっと見てから、20世紀初頭のフランス植民地時代別荘であるハノイの家に移動しました。こちらは改装されており、快適な家庭的な雰囲気を提供するというコンセプトで作られた、過ごしやすい中庭を備えた2階建てのホテルです。 食事は、アワビとマッシュルームのスープから豪華に始まりました。-ブイヨンは、ドライアイスの輝くトレイのように見える球体のガラスに注ぎ入れられます。 このびっくりするような演出と、ちょうどよい温度のスープで、食欲がそそられました。 こちらの一番有名な料理は、寒い季節に人気の歯ごたえのある白身の地元の川魚であるグリルしたlang fishです。 自分達で魚を巻いて食べるのでみんなでワイワイ楽しく食べるのにはもってこいの料理です。客は魚を竹串から取って、春巻きのように麺と野菜で包んで食べます。 伝統的な料理に現代風のアレンジを加えたような斬新な料理もたくさんあります。 炒めたsummer flowerとニンニクはナムルに近い感じで、フライドチキンはよくある一般的なものでしたが、黒故障のソースは珍しくパンチが聞いていました。 再度にはnurungjiのような歯ごたえのある焼いたもち米のスライスロールが添えられていました。 また、ナスと豚カルビが野菜の自然な風味を最大限に引き出していました。 家庭料理レストランの料理は、Iron Chef Vietnamの最初の大会で優勝した専属シェフのNguyen Thanh Tungが監修しています。 彼は、ベトナム料理が栄養が豊富でバランスの取れた料理だと説明してくれました。 「タイのような他の国と比較すると、この店の食べ物はベトナム料理よりも甘くてスパイシーです。それぞれの料理の材料のバランスを見ながら、味を引き出し、材料本来の風味を保つようにしています。ベトナム人は毎日の食事で、肉や、魚介類、野菜、さまざまな種類の野菜と米を常に食べています。常に、毎食食卓には少なくとも3〜5つの料理を用意します。どの料理も薄味で濃い味をつけてはいません。すべての料理で自然な風味を楽しめるような味付けになっています」と彼は言いました。料理自体の味ではなく料理全体のバランスを見ながら、風味を調整することに重点を置いています。 毎日ハノイの家のような場所で食事をする人はいませんが、ここの料理には特別な料理というよりも一般的な家庭料理のような雰囲気を残したものばかりを提供しています。 またデザートも最高です。 バナナのフランベは驚くべきおいしさでした。もち米のちょうどよい歯ごたえとラム酒とバナナの新鮮さが甘いソースを引き立てます。 「それぞれの地域には、人々の好みに合わせて色々な味があります。北部では、辛い料理はあまり食べられません。ただ塩味と酸味でシンプルな料理が好まれます。中央部では辛い食べ物がよく食べられますし、南部では辛くて甘い料理が主流です」とNguyen Thanh Tung氏が説明してくれました。 スパイシーな料理が主流の中央地域に向かう前に、ハロン湾への行く時にここから出発するという人気のTuan Chau島に寄りました。1958年にできたのレストランがるのですが、そこでは海の味覚を堪能できます。 海鮮スープとクラゲのサラダは、カキ、エビのフライ、その地域特産のイカのフライなど、食事のスタートにはぴったりのさわやかな味でした。 肉好きな客を満足させるために歯ごたえのある豚カルビも出てきました。その中でも一番印象に残ったのは、ピリッとしたトマトソースのかかった、赤いしっかりとした食感ティラピア(魚の名前)でした。 またさらに南に移動して、広大なビーチが広がるアジアの観光客に人気のリゾートタウンであるニャチャンに来ました。…

フュージョン(融合)のパイオニアHelene Anがベトナム料理をコース料理の最高峰に

ベトナム料理のシェフを代表する有名なHelene An氏は、新しい吹き抜けのレストランDa Lat Roseで自分の難民時代の話をしました。 11月6日にビバリーヒルズで一般公開されるベトナムの高級レストランDa Lat Roseでは、フュージョンのパイオニアであるHelene An氏の有名なガーリックヌードルが、新しくさらに美味しく生まれ変わって登場します。そのレストランの一般公開で出されたガーリックヌードルには、麺にサンタバーバラ特産のウニをほんの少しと、わずかな24カラットの金がトッピングされています。 その後、総料理長のNguyen Nguyen氏自ら、客のテーブルで黒トリュフを削り、ふんだんに麺の上に振りかけてくれます。 Da Lat RoseはAn氏の今までの経験と技術を盛り込んだ彼女の集大成となる素晴らしいレストランです。メニューには、それぞれの料理に説明書きがあります。 ガーリックヌードルの1つについているタイトルは、「アメリカンドリーム」です。 この金色に輝く料理は、アメリカとそのレストラン業界が、アメリカに体一つでやって来た人々の涙ぐましい努力によって築かれたことを象徴しているのです。 現在75歳のAn氏は、難民としてアメリカにやって来て以来、40年以上もレストラン業に携わっているため、そろそろ引退を考えています。An氏は、そのバトンを32歳のNguyen氏に引き渡すそうとしています。Nguyen氏は25歳からAn氏と働いてます。An氏は自分の娘が事業を引き継いでくれることも分かっています。 彼女はベトナム料理が多くの世代の人々に受け継がれていったことを嬉しく思っています。25歳の孫娘Bosilikaも、Da Lat Roseのオープンに尽力を尽くしました。 Nguyen氏はこれがAn氏の人生最後のレストランにはならないと言っていますが、An氏本人はやはりDa Lat Roseが最後のレストランになると考えているようです。 「自分の人生と私の物語をみんなと共有したいのです。私の家族はいつでもどこかに隠れて逃げて暮らしていなければなりませんでした。」とAn氏は言います。 Da Lat Roseの12のコースの料理は、美味しい生ビールとスナックが出されるベトナムの小さな通り角のバーを想定したラウンジエリアで始まります。 竹ご飯とライムの葉で調理されたチキンオイスター(鶏の股関節あたりの部位)は本当に美味しい料理です。貴族の家系に生まれたAn氏が第二次世界大戦のさなか、家族と一緒に農園に隠れて生活していたあの辛い日々の象徴となる料理です。 この料理を注文したお客さんはDa Lat Roseのウェイターから、戦時中にAn氏が敵と戦うためにナイフのように尖らせた竹の棒を振り回していた当時の話を聞けるかもしれません。 戦争が終わり、数年が経ち、状況はとてもよくなりました。 「私たちは1948年から1954年の間はとても幸せに暮らしていました。その後、共産党はハノイを支配するようになりました」とAn氏は話してくれました。 その当時An氏は11歳でしたがまた再び逃げ回る日々が始まりました。 彼女の家族はサイゴンに逃げ、そこで父親は病に倒れてしまいます。しかし、その後、一家は気候がよく、果物や野菜が一年中栽培できる緑豊かな湖の近くにある街、Da Latに移住することになりました。 彼女の父親の病気もすっかり治りました。彼女は「貴族だけが行くことができる」立派な私立学校に行き、その後修道院で勉強しました。 その後、彼女はサイゴンの裕福な実業家と結婚しました。家に3人のシェフがいるくらい裕福な家庭でした。1人はベトナム料理、もう1人はフランス料理、もう1人は中華料理のシェフでした。 An氏と夫のダニーは二人で3人の娘を育てました。 しかし、サイゴンが崩壊した1975年に、彼女は再び困難に直面します。 グアムとキャンプペンドルトンに寄った後、An氏は最終的にサンフランシスコに辿り着きました。サンフランシスコには義母のダイアナが住んでいて、総菜屋を経営していたのです。 An氏はメニューを変えることを思いつきました。アメリカ人の友人がパスタを食べるのがとても好きだったのを思い出し、ニンニクヌードルというメニューを発案しました。クリームとトマトソースを使わない、より軽い感じの料理を作りたかったので、Da Latで東洋医学を勉強し、ニンニクの効能などを調べ、それをメニューに生かしました。 「当時、自分がフュージョンということをしているという自覚は全くありませんでした。お客様にとってメリットがあり、かつ誰もが食べられる料理を提供したかった一心でした。本場のベトナム料理は、アメリカ人の口には合わないでしょう。 私がフランス料理を作っても、美味しいフランス料理では勝てません。それはイタリア料理でも同じです。だから私は人と違うことをしなければなりませんでした。 つまり、自分で料理を発案しなければならなかったのです」…